海洋国家構想 P1 2025‑11‑20 興味・共感

導入:潮流のロマン

— 野須寅 堕無洲(のすとら・だむす)|波止場・出航宣言

災害は油断してる時に、何食わぬ顔でやってくるもんだ

近年話題の南海トラフ地震。
専門家の口からは何十年も前から名前が出てるし、
確率だの想定だの年ごとに数字を叩き出すが
「来る/来ない」だの、いつ発生するだのは、
もうそんな話題をの土俵にすら上げる時代じゃねぇ。

そんなちいせぇ話は議論のステージにねぇよ。

問題は "その後" だ。

家が倒れた、街が沈んだ、物流が止まった、
数十万人規模の被害、インフラ崩壊、政治停滞、経済麻痺──。
どの地域が安全で、どこが危険か。
ここまでは、国もメディアもSNSも散々取り上げてきた話題だ。

だがな、そこで思考停止してんじゃねぇか?

オレはこう思ってる。

守る手段」じゃなくて
生き続ける領域」を決める時期なんじゃねぇかってな。

「守る方法」を語るだけなら、
もう答えはそこら中あちらこちらにどこでも並んでる。
備蓄も訓練も避難手順も対策も生存には必要だ。そんなこと誰でも知ってる。

だがそれは "生存のための防衛準備" でしかなく、
その後を生き抜く"未来の設計図" じゃねぇだろ。

オレが話したいのは、その先にある話だ。

生き残った者が
どこで暮らすのか

どんな国の形に
舵を切るのか

陸に固執するのか、
視点を海に広げるのか

この国のフィールドを
「どこに置き直すか」

日本は山国のフリをしてるが

背骨は海沿いに伸びた"海と共存してきた民族"だ。
ならば、"沈む事" を避ける国じゃなく、
"沈んでも生きられる構造" を考える国でいい。

海を避難場所にするんじゃなく、
海を生活圏にアップデートする。
"逃げる" じゃない、"還る" って発想だ。

この物語の主人公は国でも政治でもなく

読んでるあんた自身だ。
一人ひとりの思考と選択が、
未来の国土デザインそのものになる。

未来は、偉い学者や政策立案者からじゃなく、
"生活者の想像" から始まる。
視点を変えねぇ限り、日本は未来で同じ穴に落ちる。

今日はな、恐怖の話じゃなく、舵取りの話をしようじゃねぇか。

ここは避難所じゃない。
希望ある未来へ向けて、錨を上げるための波止場だ。

海を味方につけた "日本の未来"の話だ。

野須寅 堕無洲 一言メモ

「未来は、偉い人が作るもんじゃねぇ。
現場で生きてる人間の想像力と選択が、
国の形そのものを決めるんだよ。」