整理していこう
整理していこう。
何事も準備運動やウォーミングアップは重要だろ。
運転もスポーツも思考も、
いきなりエンジンを吹かせると事故るからなw
ここからは、
今回の違和感の発端となった記事を、
そのまま見ていく。
パブリックな事実としての記事
今回の発端となった記事は、
入念な取材を重ね、厳しい編集チェックを通り、
メディアの信頼を背負って、
接続環境が整った世界の人類に向けて公開された
"パブリックな事実"としての見出しだ。
Forbes 記事
Forbes Japan
「マスクが断言、『2026年はシンギュラリティの年』──
テック界の巨人たちが予測するAIの未来」
2026.01.07 09:00
※ 記事URL: https://forbesjapan.com/articles/detail/887
無心で向き合う
ここでは、
まだ何も評価しない。
正しいとも、危険だとも、煽りだとも言わない。
ただ、
一人の読者として、
無心で向き合おうじゃないか。
まず目に入る強い言葉
まず目に入るのは、
いくつか文章中にある強い言葉だ。
「断言」
「2026年」
「シンギュラリティの年」
「テック界の巨人たち」
「AIの未来」
どれをとっても、
ニュースとしては自然な言葉選びや。
世界的メディアとして、読者の関心を引く構成でもある。
よくあるニュースやメディアの記事だ。ここまでは、
何もおかしくない。
記事の構造を確認する
次に、この記事が依拠している人物を確認する。
中心に据えられているのは、
イーロン・マスク
という、
テック業界において
今や象徴的とも言える存在だ。メディアとして個人をストレートに掲載するならば
よほど信頼のおける事実であろうと読者として受け取れるしな。
その発言を起点に、
複数のテック関係者の見解が紹介され、
「未来予測」という形で
記事はしっかりと構成されている。
これもまた、ニュースやメディア記事としては
よくある構造であり伝えたい見出しの核である事が伺える。
歯の間に引っかかる何か
そんな視点や感情から
半ば純粋無垢な気持ちで読み進めていく中で、
俺の中に、
どうしても拭えない…歯の間になんか遺物が引っかかる感覚が残るんだよな。
それは、
「危機感」でも
「恐怖」でもない。
言葉の強度だ。
予測ではなく、断言
「予測」ではなく、
「断言」。
「可能性」ではなく、
「年号を伴った到達」。
現状を踏まえ状況を鑑みた上での起こりえるであろう未来の話であるはずなのに、
どこかすでに確定した出来事のような語感が尾たるところに漂っている。
率直な読後感
ここでは、俺はまだ結論を出さない。
ただ、
普通の一人の読者として
この違和感を自分の言葉で表現するとこうなる。
「……
これって、
"これから起きるかもしれない話"
というより、
もう
"そうなる前提の話"として
読めねーか?」
言っておくが
人物への疑問でも、
内容への否定でもない。一人の読者としての率直な感覚だ。
ニュースとして編集された文章が、
どう"読めてしまうか"どのような経路を経て情報として認識されてしまうか"
という、純粋な読後感ってやつだよ。
まだ判断しない
感じたんだよな。だが・・・ここでは誰が正しいかも決めない
シンギュラリティの定義も語らない
人間がどうあるべきかも言わない
ただ、
この見出しと構成が、
読者にどんな前提を
そっと手渡しているのか
その感覚だけを、
ここに置いておく。
次のページでちょいと深堀するぜ。