シンギュラリティ方程式の解 第9頁 2026‑02‑11 工程整理編

工程整理

定義編 × 心理編 の接続

―― なぜ「到達」という言葉が成立するのか

— 野須寅 堕無洲(のすとら・だむす)|4速に切り替え

ギア4速に切り替え

さ~…この段階からもう一段 ギアを4速に切り替えようかw
低速ギアだとレッドゾーンだしなw

余談だが・・・俺は白衣着て眼鏡の位置を調整して黒板にチョークで数式を網羅したい衝動を抑えている。

ん~~~面白い。

ここまで、二つの流れを追ってきた

さー、ここまで、二つの流れを追ってきた。

一つは、

「シンギュラリティ」という言葉が
技術的にどう定義されてきたかという話。

もう一つは、

人間が
どう考えるのを避け、
どう判断を外に出し、
どう安心を求めるかという人間側の心理の話だ。

ここからは、
この二つを一度、同じテーブルに並べてみようじゃないか。

・定義編で確認したこと

定義編で整理したのは、
極めてシンプルな事実だった。

シンギュラリティは、
本来「技術的仮説」として語られてきたという部分

それは「現象」の話であって、
宣言や判断そのものではない

「到達」という言葉には、
認識と宣言が含まれている

つまり、
現象だけでは「到達」は成立しない
という点だ。ご理解いただいてるかな…。

・心理編で見えてきたこと

一方、心理編で見てきたのは、
100%人間側の動きだ。

判断は疲れる

責任は外に置きたくなる

権威に委ねると楽になる

利便性と安心感が、その流れを加速させる

その結果、
「選ばない」「決めない」状態が
自然に受け入れられていく。

ここで重要なのは、
これは怠慢でも、悪意でもないということだ。

構造として「そうなりやすい**、ただそれだけの話だ。**」

・二つが重なった地点

ここで、
定義編と心理編を重ねてみる。

技術の側では、
「変化が起き得る」という話があり、

人間の側では、
「判断を引き受けたくない」という流れがある。

この二つが同時に存在すると、
何が起きるか。

答えは、
「到達」という言葉が、
非常に都合よく機能し始める
ということだ。

「到達」という言葉の役割

「到達した」と言われた瞬間、
人は何をしなくてよくなるか。

どこで線を引くかを
考えなくていい

自分で判断する
必要がなくなる

責任の所在を
曖昧にできる

「もう来た」と言われれば、
「どう向き合うか」を考える前に、
受け入れる側に回れる。

ここで、
到達は技術の話ではなくなる。

認識と心理を整理するための言葉
として機能し始める。

工程として整理すると

ここまでの流れを、
工程として並べるとこうなる。

1

技術的変化の可能性が語られる

2

社会的言説で「年号」「人物」「断言」が付与される

3

人間側では判断疲労と責任回避が進む

4

利便性と安心感が、その流れを後押しする

5

「到達」という言葉が置かれる

この時点で、
「到達」は
現象の結果というより、
構造の帰結になる。

一つだけはっきりしたことがある

「シンギュラリティに到達した」という表現は、
AIの進化だけで
自然発生的に生まれた言葉ではない。

定義と心理、
両方がそろったときに
初めて成立する言葉だ。

次のページでは

次のページでは、
この関係を
一つの式に落とし込もうではないか。