ここからは視点を少しだけ変えてみようか。
日常の中で「足りない」と感じるものってあるよな。
髪でもいいし、体でもいいし、見た目でもいい。
それって本当に"足りない"のか、という角度だ。
ちょいと事例としてよく聞いてくれ。
毛髪にフォーカスしてみようか。
散髪だの美容室だの、髪を整える習慣は誰にでもある。
その切られた後、床に落ちた髪は基本"ゴミ"扱いされるよな。
でも、全部が全部そうか?
美容師の世界の目線だと違う。
"切られた髪"は——
そしてその延長線上に——カツラやウィッグがある。
別の文脈に入った瞬間、新しい価値に目が向く。
その時点で役割が生まれる。
じゃあ毛髪の概念に少し深く入ろうか。
昔の感覚としては——
つまり「欠損」という認識、今でも根強くないか?
40代後半のロン毛の俺でも気にするぞw
若い頃に当たり前にあったものがなくなる。
それだけで、評価も視線も認識も変わる。
そのままあきらめモードの人もいるが、
補いたいという願望も自然だよな。
カツラは、そのために生まれた。
最初の役割はシンプルだ。
"元の状態に近づける道具"。
ここまでは——
「足りない → 補う」
この一直線の構造だった。
でも、どこかでズレる。
別に、元の状態に戻さなくてもよくないか?
👉 ここが転換点だ。
その日の気分で着け変える。
自由自在だよな。
こうなると補助じゃないな。
選択だ。
さらに進む。
ここまで来ると——
もう「欠損を埋める道具」ではない。
状態そのものを編集する装置だ。
じゃあ最初の前提に戻る。
「足りない」って何だったんだ?
基準はどこにあった?
誰が決めた?
ここで今まで張り付いていたラベルが剥がれだす。
足りないから補うんじゃない。
どう在りたいかで選んでいるだけだ。
欠損
→
補填
→
選択
→
表現
意味が完全に入れ替わる。
ここで3つを並べてみると——
P4(事例①|柿の種)
失敗がズレた
P5(事例②|廃棄の再定義)
廃棄がひっくり返った
P6(事例③|今回)
"足りない"という認識そのものがズレる
これはモノの話じゃない。
人間の認知の話だ。
さー・・・
俺の大好きな
心理と文化のパートに移ろうか。