シンギュラリティ方程式の解 第6頁 2026‑02‑11 心理編①

心理①

―― 判断疲労と思考外注

— 野須寅 堕無洲(のすとら・だむす)|人間の心理面に突入

角度を変える

前項まで・・・「シンギュラリティ」の基本定義ってのを述べてきた。
今回は角度変えて行くぞ。人間の心理面という少しだけ深い領域に突入だ。

3rdギアに切り替え

3rdギアに切り替えて処理していこうぜ。
少し深いところがあるので切り分けながら行こうじゃないか。
ヘッドライトは点灯必須だぜw

1

複雑化による判断回避

まぁ、どんだけたくさんの情報があふれてるか、って話だ。
日々、目の前に山のように積まれた選択肢を考えてみろよ。
食事から仕事の決断、社会問題まで、全て「判断」しなきゃならねぇ。
最初は「まぁ、できるだろ」とか思ってても、だんだん頭がパンクしてくるんだよな。

日常の中で、選択肢が増えて、情報がどんどん複雑化すりゃ、最終的に何もかもが面倒くさくなる。
「考えたくない」って思うのが、これが普通だよな。

これはなんだ? 判断疲労 だ。
簡単に言えば、脳みそのエンジンがオーバーヒートしてるんだよ。

そして、オーバーヒートしたエンジンは、やりたくない事から逃げる手段を考えるわけだ。
その手段の一つが、思考外注だ。

2

AI・専門家への委譲

人間はラクしたい生き物だからな、判断疲労がたまってくると、AIに丸投げしたり、専門家に頼りたくなる。
「あぁ、また選択肢が増えてきたなぁ、考えたくねぇ」と。

そんな時、AIや専門家が「おい、任せておけ」って言ってくれると、「おっ、これが便利だな!」と感じるわけだ。
「あんたに任せてれば、安心だし、間違いないだろ」ってな。

で、だんだん、自分の考えを放棄して、判断を他人に任せることが、正常だと感じるようになっちまう

例えば、健康問題でも「自分で調べて判断する」なんて考えが、面倒くさくなってきて、「まぁ、医者に任せりゃ間違いない」と。
こりゃもう、判断を外部に委譲することが、無意識のうちに「合理的だ」と感じてるってことだな。

3

「考えないこと」の合理化

最後にやっかいなのが、「考えない」って選択肢が合理的だと認識される瞬間だ。
判断疲労のせいで、「考える」ことがどんどん面倒になってきたら、もう考えない方が楽になる。
だんだん、「考えないこと」が正解だと思い込むようになるわけだ。

例えば、
「自分で考えるのは疲れるし、結局他人に頼む方が楽だ」
って感じで、AIや専門家に依存するのが当たり前になる。

最初は自分で判断しようとしてたものも、いつしか他人任せになっちまう。
結果、何を選んでるのかすら分からなくなる。でも、まぁ、ラクだからそれが普通になっちゃうんだよな。

結局のところ

結局のところ、「考えないこと」を選ぶ理由が「ラクだから」ってことだ。
なんでもかんでも外注して、無駄な思考を省くことが合理的に見えるようになる。
それが、今の世の中の流れだよな。

人の性ってやつかな

だれ彼問わず人の性ってやつかな…もちろん俺の中にも滞在してるし、心理に対しては否定はしない。
だが、あんまりその「ラクさ」に頼りすぎると、自分を見失うからな。

ここで一息

とりあえず、ここで一息ついて、次の心理編に進もうか。