潮風波止場 親父の小言 2026‑06‑08 登山・SNS論

親父の小言2nd

山頂写真ばかりの時代に、登山ログを見失ってないか?

御来光、絶景、映え写真――
山頂の景色だけが切り抜かれる時代。
だが、登山ってのは山頂より途中の方が圧倒的に長ぇ。

港町の親父・野須寅 堕無洲が語る、
「山頂写真」と「登山ログ」の話。

はじめに

2026年7月、富士山の山開きが近づいてきた。

御来光。
絶景。
山頂の達成写真。

まぁ景気のいい話が並ぶ(笑)

一方で毎年話題になるのが、
軽装登山、弾丸登山、準備不足――遭難や事故。

山頂写真だけ見てると、山は簡単そうに見える。

……で、最近のSNSもちょいと似てねぇか?

違和感の正体

SNSには"山頂写真"が大量に流れる。

成功しました

達成しました

自由になりました

人生変わりました

だがよ。

その山、どうやって登ってたどり着いたんだ?

道迷い、失敗、孤独、修正、撤退判断――
"登山ログ"ってやつが、なかなか見えてこねぇ。

比較じゃなく、観測へ

"完成済みの他人"と"編集中の自分"を比べるから疲れる。

👉 みんな登山中なんだわ。

ただ、SNSってのは"山頂の瞬間"が強調されやすい。

結果だけ見て、その山を簡単そうに見積もっちまう。

そこの違和感が、この小言の出発点だ。

この先で扱うこと

この親父の小言では、
次の5つの視点から「山頂写真と登山ログ」について語る。