親父の小言 P5 2026‑06‑08 登山・SNS論

締め編

— 野須寅 堕無洲(のすとら・だむす)|山頂写真より、道中の苦労話を聞かせてくれや

まー・・・長々と親父の小言に付き合ってくれてありがとよ(笑)

結局今回、俺が言いたかった事はシンプルなんだわ。

👉 「山頂写真だけじゃ、人生の登山は見えてこねぇ」

って事だ。

綺麗な景色。

達成感。

成功。

自由。

映え。

それ自体は悪かねぇ。
見てて気持ちいいのは間違いない。

むしろ、そこを目指して頑張る事は、人生にとって大事な活力だ。

目標のイメージとして大事だよ。

だがしかし。

最近、どうもそこだけ切り抜かれすぎてる気がするんだわ。

本当に人間臭ぇ部分ってのは、

途中で道間違えたり、

転んだり、

引き返したくなったり、

雨に降られたり、

「もう無理だ・・・」

って顔しながら、それでも前に進んでる時だったりする。

土壇場からのリカバリーってか、レジリエンスってやつ?

👉 逆境こそが人間のドラマだろw

つまりよ。

👉 "登山ログ"ってのは、その人が生きた証みてぇなもんなんだ。

だから俺は、結果そのものより、

👉 「どう登ったか」

の方が気になっちまう。

どこで苦しんだ?

どこで迷った?

何を背負ってた?

何を捨てた?

どう立て直した?

👉 そっちの方が、妙に人間くせぇからな(笑)

AIは答えてくれねーぞw

まー・・・最近じゃAIも進化して、

綺麗な景色も、

綺麗な文章も、

それっぽい成功談も、

いくらでも作れる時代になった。

だがよ。

👉 泥だらけの登山靴の重さだけは、実際に歩いた奴しか語れねぇ。

靴底に挟まった小石も、

雨で濡れた感覚も、

足ガクガクで見上げた山頂も、

👉 全部、そいつだけの希少価値の高い累積ログだ。

だから俺は、最近つい思うんだわ(笑)

山頂の映え写真もいい。

だがよ。

👉 「そこに着くまで、どんな顔して登ってたんだ?」

って話も、たまにはとことん聞かせてくれや(笑)

スッ転んだ話でもいい。

半ベソかいた話でもいい。

途中で座り込んだ話でもいい。

👉 むしろ、そっちの方が酒飲みながら聞いてて面白ぇ(笑)

結局、

👉 家に帰り着くまでが登山。
帰ってこなけりゃ遭難だろw

人生も案外、そんなもんなのかもしれねぇな(笑)

まー…後は好きにやれ。

リアルの実録語れる未来で待ってるぜ 夜露死苦💛米瓶

(野須寅 堕無洲)