何気ない日常に潜む深淵 第4話 実録

第4話|裏の文明圏

― 捜索と絶望 ―

しばらく固まっていた。

脳内でどれくらいの時間が経過していたのだろう。

だが、現実逃避だけでは深淵は闇に包まれたままだ。

動かなければ何も解決しない。

相棒との僅かな距離のすれ違いが生んだ大惨事である。

まずは気を取り直し、冷静に状況確認である。

「初号機」は確かに飛んだ。

元にあった場所からは姿を消している。

重力から解き放たれ、放物線の芸術の最中、目が合ったあの出来事は紛れもない事実だ。

あの瞬間だけが脳内に幾度も再生される。

事件の目撃者はただ一人。俺だけだ。

一瞬の意思疎通の後、そして消えた。

問題は、どこへ消えたのか。

そこにたどり着くことが、すなわち解明である。

私はゆっくりと洗面台の周辺を見回した。

敷地面積全体を換算すると畳二枚ほどの広さか。いや、もう少しゆとりのある空間だ。

床。まったく異常なし。

足元。何も落ちていない。

洗面台の周辺及び側面の床。ここも異常なし。

どこにも見当たらない。

おかしい。確かに飛んだ。見間違いではない。

ならばどこへ行った。

脳内で先ほどの軌道を再生する。

放物線。回転。消失方向。

何度か記憶をたどる。

そして、ある場所へ視線が止まった。

そこには、高さおおよそ120cm前後。幅約55〜60cm。奥行約56〜61cm。

どの家庭にも存在しうる「ある物体(家電)」が、その場に威風堂々と佇んでいた。

例えて言うならば、太古からこの地に根を張った古代遺跡のごとく。

まさか。

いや、そんなはずはない。

しかし理屈で考えると、最も可能性が高い場所でもある。

私はゆっくりと近づいた。

中央を覗き込む。

衣類は見当たらない。だとしたら内側の金属との接触音が響くはずだ。

見当たらない。見えない。

角度を変える。

見えない。

壁とその古代遺跡側面側との隙間は約3cm。排水ホースや電源コードも存在する。

ここであるとするならば、壁に当たるはずである。

バスケットボールにおいて、バックボードにボールを当ててからリングへ沈めるシュート。すなわちバンクショットなら成立する。

しかし――無音である。

踏切位置から距離と角度を計算しても、無音でのゴールは物理的に無理ゲーである。

さらに身をよじる。首や肩の角度を変えてみる。

だが、やはり見えない。無音の静寂。

あの時の状況が脳裏をよぎる。

ここまで見えないと、逆に違う場所なのではないかと思えてくる。

だが、どう考えても怪しい。

現場の構造。飛行方向。着地点。

脳裏に幾たびと再生される状況証拠。

どこかで脳内編集が入ったのか。そう疑いたくもなる。

だが、その状況証拠だけを着実に積み上げると、答えは一つしかない。

私は再び視線を向けた。

そして、ほんのわずかな違和感を見つけた。

隙間。暗闇の奥。壁際という死角。

照明の光が斜め上から一部分しか届かない。

中央には太いホースと、プラスチックの留め具。

俺自身の背中にも、何かが走るのを感じた瞬間だった。

まさか……。

身を乗り出す。側面とは違い、高さを加味した不自然な姿勢になる。

スマホのライトが照らす先。わずかに何か色が見える。

下界の世界とは違和感を感じる配色だ。

気のせいかと思った。いや……。

もう一度確認する。やはり見える。

ほんの少しだけではあるが、明らかな配色の違和感。

柄の先端と思われる紫色。

これは間違いない。「初号機」だった。

生存確認。

思わず安堵する。硬直した体に、一斉に血液が流れ出すあの感覚。

居た。確かに居た。間違いない。相棒だ。「初号機」だ。

だが――そこから先の現実は、あまりにも残酷だった。

距離にして僅か。高さにして一メートルちょっと。人間の身長にも満たない距離。

手を伸ばせば届きそうにも見える。

しかし届かない。

角度が悪い。障害物もある。指先が届かない。

何度試しても届かない。

見えている。確かに見えている。

だが回収できない。

その事実と、もどかしさと、残酷な現実だけが、静かに突きつけられる。

私はしばらくその紫色を見つめていた。

数分前まで、毎日手にしていた相棒。

今は目の前に居るのに届かない。

その距離は、視覚にとらえることのできる数十センチ。

だが、あまりにも遠かった。

そして果てしなく遠かった。

そして私は、ようやく現実を受け入れ始める。

取れんやん……