二代目の運用はすこぶる順調だった。
特に大きな問題もない。致命的な不具合もない。
毎朝、そして毎晩。本来あるべき役目を淡々と果たしている。
平和そのものである。
これが本来の日常なのかもしれない。
ふと気が付けば、あの瞬間的な衝撃の事件からしばらく時間が経っていた。
人というものは本当に不思議な生き物である。
どれほど天地がひっくり返りそうな強い衝撃を心に受けても、どれほど深く心に刺さる印象深い出来事が起きても、ほんの少しずつ、だんだんと日常へ戻っていく。
それは良い意味でもあり、少しだけ寂しいことでもある。
今も時折、あの場所、あの深淵を見ることがある。
視線の先には、光の届かない暗黒の世界がある。
そしてその奥には、かつて毎日手にしていた相棒が居る。
見えない。
だが居る。
たぶん居る。
きっと居る。
そう思うことにしている。
振り返ってみれば、実に不思議な出来事だった。
たった一度の奇跡的な偶然。ほんの一瞬の刹那の出来事。
それだけで、何日も記憶に残る物語になった。
飛んだ。
消えた。
探した。
見つけた。
だが届かなかった。
振り返れば、あの事件の発端も、今となっては実に些細なものだった。
ほんのわずかな距離。ほんのわずかな接触。
あの感触だけは、今でも小指に残っている。
後の現場検証によれば、主な原因と思われる箇所は、およそ1センチ程度の位置ずれ。
ただそれだけだった。
そんなことを考えていた時だった。偶然目にしたサッカーの映像。
サッカーの世界には、
「奇跡の1ミリ」
という有名な出来事がある。
たった1ミリ。だがその1ミリが、日本中を歓喜させた。
今もなお、あのシーンは鮮明に脳裏に焼き付いている。
こちらは1センチ。日常に起きた、わずかなズレ。しかも歓喜ではない。
悲劇である。
だが、結果として生まれた物語の大きさだけは、決して小さくなかった。
ただそれだけの話である。
本当に、ただそれだけの話だ。
それなのに、なぜだろう。
今こうして振り返ると、妙に印象に残っている。
妙に愛着がある。
妙に語りたくなる。
おそらく、日常とはそういうものなのだろう。
世の中には壮大な事件もある。世界を沸かせる出来事もある。歴史に残る出来事もある。人々の記憶に刻まれる大事件もある。
だが、人の心に残るものが、必ずしも大きな出来事とは限らない。
何気ない日常。ほんの小さな偶然。誰にも語る必要のないような出来事。
そんなものの中にこそ、時として予期することのできない、奇妙な深淵が潜んでいる。
そして今。この物語もまた、役目を終えようとしている。
初号機との出会い。運用の日々。運命の4回転ひねり宙返り。裏の文明圏。継承される意思。
その全てを乗せながら。
初号機は短命だった。
だが、物語としては十分すぎるほどの仕事をした。
そして今。この小さな記録は、潮風波止場からボトルメールとして情報の大海原へ旅立つ。
誰かの笑いになるのか。誰かの記憶に残るのか。今は分からない。
だが、それもまた旅というものだろう。
ありがとう。
初号機。
🚢🌊🪥
完
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