まずは、ここから整理しよう
話の意図が分からない人はすまんが、
前回の記事を先に読んでほしい。
この話は、その続きだ。
(前記事リンク)Bottle #15|オヤジの太陽光パネル斬り
https://harbor.ai-makouro.com/nosu/taiyou/index.html
誤解はしてほしくない
改めて言うが、
ここは強調させてもらう。
決して太陽が悪いわけじゃない。
太陽光発電が悪者だと言いたいわけでもない。
むしろ、
未来のペロブスカイト太陽電池は、
俺の中では最重要案件だ。
期待もしているし、
技術としての可能性も高い。
ただし――
問題は、そこじゃない。
チェックすべきは「発電」じゃなく「載せ方」
今回のチェックポイントは、
「発電」そのものじゃない。
どう載せるか。
どこに載せるか。
屋根に太陽光パネルを載せた瞬間、
それは単なる設備じゃなくなる。
・設置したのは誰か
・管理するのは誰か
・壊れたら誰が責任を取るのか
・想定外が起きたとき、誰が困るのか
こういう話が、
一気に個人の肩に
"ズッシリ"と乗っかる。
発電そのものは立派でも、
責任の重さだけが
集中する構造になりやすい。
技術が「装備」になる瞬間
屋根に載せるという行為は、
技術を「思想」から
「装備」に変える。
装備になった技術は、
・外せない
・無視できない
・壊れたら困る
つまり、
生活と強制的に一体化する。
ここが、
一番の問題点だ。
当然だが、
これが合う人もいる。
向いている家も、もちろんある。
ただ、
万人向けの前提にするには、
少しどころか、かなり重たい。
だから話が荒れやすくなる
太陽光パネルの話題が
大荒れしやすい根本の理由は、
単に効率や発電量の問題だけじゃない。
・立場が違う
・背負っている責任が違う
・条件がバラバラ
同じ「再エネ」の話をしているつもりでも、
見ている現実そのものの視座が違う。
これで議論が噛み合うわけがない。
視点を一段、下げる意味
だから俺は、
ここで視点を一段、下げて
フラットな目線で話したい。
屋根を見ない。
空を見上げない。
机上の空論は語らない。
地についた足元を、
しっかりと見つめる。
毎日、
誰もが無意識に使っていて、
使わない選択肢が皆無で、
止めることも、制御することもできない
"生活"の流れ。
そこに目を向ける。
発電を「生活イベント」から降ろす
屋根に載せる発電は、
どうしても
「イベント」になりがちだ。
決断が必要で、
説明が必要で、
覚悟が必要になる。
それが悪いわけじゃない。
ただ、
10年続く前提で考えると、
少しハードルが高い。
人間の足腰にも、
家の足腰にも、
それなりの負担がかかるだろう。
だったら、逆だ。
頑張らなくていい場所。
意識しなくていい場所。
壊れても生活が止まらない場所。
そういう所に、
発電を置けばいい。
屋根の話は、ここまででいい
屋根の話は、
ここまででいいよな。
少し引っ張りすぎた感もあるが、
土台としては必要な話だ。
このシリーズでやりたいのは、
屋根の是非を決めることじゃない。
屋根に載せる正解もある。
足元で回す正解もある。
ただひとつ言えるのは、
屋根の話だけしていると、
発電の選択肢が一気に狭くなる
ということだ。
だから次は、
その「足元」で
何が回せるのか。
ついでに回る発電。
具体的で、現実味のある話をしよう。