― 情報料理編・全7章 ―
• AIの技術そのものを否定しない
• AIが便利であることは認める
• 「使い方」「語り方」「料理人の在り方」の話
• 批判ではなく、構造観察
最近やたらと「AIがレシピを作る」という話を聞くようになった。
便利だ。技術はすごい。組み合わせ提案は確かに面白い。
ここはちゃんと認める。
しかし親父は言う。
「レシピは立派だな」
「で、誰が料理するんだ?」
理屈ではなく、体感の違和感から始まった話だ。
このシリーズで扱う「料理」は、食べ物の話じゃない。
情報社会を料理にたとえたとき、対応関係はこうなる。
海 = 情報社会
魚 = 情報
鮮度 = 情報の質
漁 = 一次情報
厨房 = 思考
料理 = 思想
AI = レシピ帳
AIは料理人ではない。レシピ帳である。
……味見すら出来ない。
この話は、AIを否定するためのものじゃない。
ましてや、最新技術を批判したり、
誰かを説得するための話でもない。
ここで扱うのは、
素材を見ないレシピの限界。
写真だけ映えて食えない料理の話。
レシピが増えて、料理人が消えていく構造。
そして最後に、親父が一言言う。
「レシピは紙だ」
「料理の根底は火だ」
「レシピは立派だな。で、誰が料理するんだ?」
「AIはレシピ帳だ。料理人ではない」
「魚触ったことあんのか」
「写真は食えねえ」
「魚の鮮度の話するなら港来い」
「レシピが増えて、料理が減る」
「レシピは紙だ。料理の根底は火だ」
問題はAIではない
問題は:
その姿勢
AIはレシピ帳
料理人ではない
鮮度を知りたいなら
漁場に出ろ
料理の根底は火だ
盛るだけは料理じゃない
料理は人がやれ。食うのも人だ。