🎙️ 長い独り言に付き合ってくれて
さて。
ここまで料理や鮮度の話をしてきた。
AIのレシピの話。
映える料理の話。
漁場の話。
現場の話。
レシピの話。
港町の親父の
長い独り言に付き合ってくれて
ありがとうよ。
✋ 誤解だけはしないでほしい
ただな。
ここまで話しておいて
勘違いだけはしてほしくない。
俺は
AIを否定してるわけじゃない。
SNSを否定してるわけでもない。
レシピを否定してるわけでもない。
むしろ
全部大事なものだ。
情報が行き交う公共の市場は否定できない。それも一つの文化だ。
AIは便利だ。
レシピも役に立つ。
写真も料理を楽しむ一つの表現形だろう。
時代が変われば
料理の楽しみ方も変わる。
それはそれで
ごく自然なことだ。
ただな。
一つだけ
忘れちゃいけないことがある。
そして
今も昔もこれからも
ここだけは変わらない。
📋 役割の整理
料理ってのは
人が作るものだ。
レシピは
紙や記事に書かれた情報だ。
AIは
情報解析における頭脳だ。
SNSは
情報を載せる皿だ。
だが
料理そのものは
人間が作る。
火を見るのも
包丁を握るのも
味を見るのも
人間だ。
そして
料理は
誰かが食べる。
人が作り
人が食べる。
それが
料理だ。
🔪 盛り付けただけは料理じゃない
刺身だって料理だ。
サラダだって料理だ。
火を通さなくても
料理は成立する。
だがな。
盛り付けただけの材料は
料理とは呼ばない。
包丁も通っていない。
手も入っていない。
それは
材料だ。
👥 食べる相手を考えない料理は料理じゃない
そして
もう一つ。
料理には
必ず
食べる相手
がいる。
誰が食べるのか。
どんな顔で食べるのか。
それを考えない料理は
料理とは言えない。
料理を情報に置き換えてみろ。
言いたいことは
もう分かるはずだ。
🔥 親父の結論
AIがレシピを作る。
それはいい。
SNSに写真を載せる。
それもいい。
だが
料理そのものは
人がやれ。
港町の親父としては
それだけ言っておく。
魚を知りたいなら
海に出ろ。
料理を知りたいなら
厨房に立て。
そして
料理を食うときは
ちゃんと
味わえ。
それが
料理ってもんだ。
食べる相手。
すなわち
情報を受け取る相手がいてこそ
成立する世界だろ。
🌊
美味しい未来で待ってるぜ・・・。
夜露死苦💛米瓶
(野須寅 堕無洲)